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セルビアって、
ぶっちゃけ
何をしていいか
よくわからない国。
とくに
観光に強い国でもないし、
日本からのアクセスも
悪いし・・・
ということで、
いつもどおり、
セルビアに行ったことのある人に
「どこか良かったですか??」
と聞いて、
行き先を決めました。
(今回、教えてくれたのはゆかさん。)
首都ベオグラードの次は
南下して
Uzice(ウジツェ)へ。
ここに、
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”カディニャチャのモニュメント”
という
すごく奇怪な
戦争記念塔がある
と聞いたのです。
写真集にも出たことがあるらしい
この場所。
でも、
情報がほとんどない。
今日は、
ウジツェからの行き方詳細を
ご紹介したいと思います。
↓↓Belgrade(ベオグラード)からUzice(ウジツェ)への行き方はこちらをご覧ください。
皆さんこんにちは。
あにとらです。
セルビアには
そのへんに
たくさんの犬猫がいます。
特に飼われているわんこが
多い印象。
ベオグラードでも多いな〜と
感じたのですが、
ウジツェもそうでした。
そして、ウジツェは
ワンコライフにすごく良さそう!!
そのへんの話は
また次回書くとして・・・
今日は
ウジツェ(Uzice)のバスセンターから
バスで
カディニャチャ(Kadinjaca)に向かいます。
↓↓ウジツェのバスセンターの場所はここ。
この窓口で
「カディニャチャ!!」
と言うと
発券してくれます。
日中は
1時間に1本くらい
出ているようなのですが、
なんでか
「今、運転手に電話したら、次のバスは走らせないみたいだから、その次かな!」
と言われたりもしたので、
時間には
余裕を持って行きましょう。
(特に10月以降のセルビアの日暮れは早い&寒いです!)
チケットは
レシートみたいなやつ。
片道140ディナール(約¥150)。
このマイクロバスで向かいます。
ヨーロッパの
のどかな田園風景を見ながら
約30分。
進行方向の右を見ていると
それっぽい丘が見えてくるので、
そこで降ろしてもらいます。
(席を立って「停めて」ってアピールしないと、バスは停まらなかったりする。)
この丘を登ったところに、
なぞのモニュメントがあります。
↓↓カディニャチャ戦争記念碑(Kadinjaca Memorial Complex)の場所はここ。
どーーーん!!!
白い!広い!!
このカディニャチャ戦争記念碑は
3つのゾーンに
わかれているそうです。
ざっくり和訳するとこんな感じ。
・ウジツェ共和国の円形劇場
・労働者団体(非正規軍)の小道
・自由の台地
というわけで、
変過ぎる像の間を歩いていきます。
なんて書いてあるのか
分からない・・・
誰か読める人、
教えてください。
わっけらからんわ〜〜〜・・・
と思って
よく見ていると・・・
全ての像に
人の顔があるんですね〜。
なんか怖い・・・
余談。
こっちの草地はキレイだけど・・・
こっちはモグラの穴だらけ。
しかも大きめ。
舗装されたところが
存外、根深くて
モグラさん、
通れないとかですかね。
でもって、
そのまま進んで、
一番奥が”自由の台地”。
(なのかな、たぶん。)
これですね。
トップ・オブ・ヘンなの。
この、
打ち抜かれたような
モニュメントの真ん中も
こんな感じで、
人の顔ぽい造りです。
反対側はこんな感じ。
何もない。
ここで、
このモニュメントについて、
私の拙い英語力で
読み取れたところを
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説明したいと思います。
このカディニャチャ(ウジツェ)の戦争記念碑の歴史は
1941年、
第二次世界大戦の頃に遡ります。
当時のセルビアでは、
強国ナチス・ドイツの侵攻により
政府重役が亡命し、
結果、
傀儡(いいなり)政権ができあがってしまいました。
おっそろしいことにドイツは
ドイツ軍死者1人につき
セルビア人100人、
負傷者1人につき
50人を虐殺する
という
意味不明なジェノサイド規定を
作ってしまいました。
主に標的になったのは
現クロアチアに住んでいた
セルビア人。
(とにかく、ヨーロッパは国境の線を越えて、数多くの民族が住んでいるんです。
だからこそ独立運動だとか、民族間問題が絶えない・・・)
こういった
ドイツ軍の侵攻に対し、
抵抗を諦めた政府とは別に
チトーなど、
”パルチザン”と呼ばれる
非正規軍(直訳すると労働者団体)による
抵抗が続きます。
※このへんの泥沼歴史はGoogle先生に聞くと詳しく出てくるので、私のブログではざっくり説明とさせていただきます。
このモニュメントは
1977年から
2年間かけて建てられ、
このように大衆に向けて
正式にオープンしたのは
1979年。
特段
”戦争の悲惨さを忘れないために”
という記述はなく、
”戦時中の団結”を表した
モニュメントらしいのですが、
せっかくあるのだから、
未だに世界のどこかで
虐殺が起きている現代に、
何かしらのメッセージを
与えてくれるんじゃないか、
と思ってしまいます。
モニュメントの先はこんな感じ。
のどかな田園風景。
遠くにおじいちゃんと羊たちが見えます。
振り返って
また、元来た道をテクテク。
モニュメントと逆方向の丘には
武器の展示がありました。
この大砲の筒を
のぞいてみると・・・
ごみ。
なんでこんなことするんだよ・・・
と思っちゃうのですが、
武器なんて、
そんなもんでいいのかもしれない。
丘を降りて、
周りを歩いてみることに。
本当に、のどかな田舎。
このモニュメントと駐車場以外は
牧草地。
外から見ても圧巻です。
さっき丘の上から見た羊たち。
羊をじーーーっと眺めていたら、
羊飼いのおじいちゃんが
手を振ってくれました。
帰りは
降ろしてもらったところと
反対車線にある
ボロいバス停で
ひたすら待ちます。
帰りは普通の路線バスが来たので、
それに乗って
90ディナール(約¥100)。
時刻表がないので
時間は不明ですが、
丘から観察していた感じだと、
1時間に1本は
確実にありそうです。
(終バスの時間は不明。すみません・・・)
ど田舎なので
タクシーも滅多と通らないし、
帰る手段が無くなると大変。
あまり遅くならないうちに行くか、
時間に制限があるなら
ウジツェでタクシーを手配して
行っちゃう方がいいかと思います。
ブルガリアのヴァルナとか
ヴェリコ・タルノヴォとか、
なんだか
デザイン性に富んだ(?)
謎のものが多いんですかね、
この辺のヨーロッパって。
↓↓そのころのブログはこちら。
↓↓ちなみに、こういった謎の記念碑は他にも色々あるそうです。”WIRED”というサイトで紹介されていました。
https://wired.jp/2017/05/02/les-symboles-invisibles/
次回は、
ウジツェの街歩き。
ウジツェもいい街でした。
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