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最初に唯一知っている
ワット・マハタートに行ったので
あとは未知の世界。
観光案内所のお姉さんに
地図で印をつけてもらったのをたよりに
ワット・マハタート近くにある
ワット・プラシー・サンペットと
過去の王宮跡に来てみました。
有名(らしい)な三つの巨大仏塔がある場所です。
うろうろ。
うろうろ。
うろうろ。
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満足したらまた外へ出て
他の遺跡を横目に自転車を走らせます。
その途中で象さんに出逢いました。
タイではいたるところで象乗りができますが
ここアユタヤにも象乗り場があります。
私は以前、プーケットを訪れたときに
ツアーに組み込まれていた象乗りを体験し
稲刈りの鎌のような刃物で象を
歩かせているのを目の当たりにして
「もう象乗りはいいや。」
と思っていたので、ここはスルー。
今回見かけた象使いさんは
そのような刃物は持っておらず
ごはんで誘導しているようではありましたが
とりあえず、象乗りはパス。
象さんの落とし物。
食事中の方、ごめんなさい。
次は巨大涅槃像。
ここでとーってもかわいいこどもさんに出逢えました。
座って水を飲んでいると
何かを持って私に手を差し出しています。
「なーに?」
と言って受け取ると、
ピンクの包みのチューイングガムでした。
さっきまで口に入れていたやつだよね?
と思いながらも
お礼を言って受け取ります。
にこにこしながら
周りを走るこのコにとても癒されました。
(もっとタイの人々の写真が見たい方はこちらへ。)
そのこの保護者と思われるおばあちゃんに写真の
許可をもらって写真撮影させてもらい
お礼に魚の形に圧縮されたタオルを渡し
(これしか遊べそうなものがなかった・・・)、
バイバイして涅槃のもとへ。
ようやく世界一周を開始できたこと。
無事にタイへ渡航できたこと。
人に助けられて始めの1週間を過ごせたこと。
などを感謝しつつ参拝。
次はワット・チャイワッタナーラーム。
アユタヤを囲んでいる川を隔てて
チャオプラヤ川沿いの大きな遺跡へ向かいます。
ここで、ようやく私は
「やっぱりこの自転車変だよね!?」
ということに気付きました。
ペダルが軽いな~
とは思っていたのですが、
少し重くしようとギアを変えると
空回りしているくらいに前に進まなくなります。
何かがおかしい・・・
でも、タイの自転車ってこんな感じなのかもしれない・・・
と思い、ひとまずそのまま進みます。
お次はだんだんとおしりに違和感が。
サドルが固かったんです。
今までは舗装された道でスイスイとこげていましたが、
坂道や下り坂や、でこぼこ道を通るようになり
徐々にワクワクテンションが落ち着いてきて、
ようやく気付いたんです。
かなりおしり痛いじゃんけ。
でも、だからって観光をやめる理由にはなりません。
おしりをかばうため立ちこぎという裏技をくりだします。
でも、サドルが軽くあまり進まないので逆に疲れる。
そんなこんな格闘しながら
どうにか着きました。
ワット・チャイワッタナーラーム。
アユタヤで一番美しいと呼ばれる遺跡です。
修復が進んでおり、
アユタヤでは珍しい首から上の残った仏像があります。
中央の仏塔もとても大きく圧巻です。
この辺りでアユタヤ観光の
名所はおおよそ回れたのですが、
私はここでは飽き足らず。
地図でたまたま見つけた
“聖ヨセフ教会”に行ってみることにしました。
仏教国タイの中にあって
さらに歴史の深い仏教都市のアユタヤ。
川向かいとはいえ、
そのアユタヤに隣接する形で残っている
キリスト教会に興味がわいたのです。
結局この疑問も、この後の日本人村で
答えを知ることになりました。
中心部からは自転車だと遠く、
有名な観光地でもないので案内もなし。
地図とにらめっこしながら、
少し迷子になりながら、
どうにかたどり着きました。
隣接の学校があり、
スクールバスが何台も出ていました。
キリスト教徒はタイ国民のうち約0.5%(らしい)。
パーセンテージだけで見れば少ないですが
その場に行って
教会と学校、お墓だけを見ると
たくさんの人が信仰を続けているように感じました。
(もちろん、日本と同じく、クリスチャンでなくても学校には通えるのかもしれませんが。)
カラフルな内装は
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ヨーロッパで私が見て来た教会とは少し雰囲気が違う印象。
私が訪れた時はだれも観光客はおらず、
掃除のお姉さんが二人だけ。
私自身は特別な信仰はないのですが
教会の静けさの中にいるのは好きです。
教会の中でただじっと座っていると
普段では味わえない、心が静まるような感覚になります。
教会の中は外と違いひんやりとしています。
こんな暑い国で、クーラーもないのに。
不思議です。
長いこと座って、教壇を眺め
気が済んでから教会をあとにしました。
また自転車をこぎ始めます。
やはり、自転車は何かが変。
もといたワット・チャイワッタナーラームの駐車場で自転車をいじり、
ギアチェンジをしてみたら
本当にチェーンが外れてしまいました!!!
7段変速のはずですが、
チェーンがズレて1段変速
(もはや変速じゃない!!)
になっていたようです。
気付くの遅い!!!
というわけで、手動でチェーンごとギアチェンジ。
これで少しは楽になったのですが
私のおしり痛は限界。
かばうために変な立ちこぎをしていたせいで
膝も痛くなってきました。
でも、だからって観光をやめる理由にはならない!!
(ここまで見たらやめてもいい気もするけど。笑)
というわけで、またアユタヤ遺跡群を横切って
駅近くの橋を渡り
さらに郊外の日本人村へ。
これが遠いのなんのって。
おしりも膝も痛いのなんのって。
でもあきらめずひたすら自転車をこぎ続け、
到着しました・・・
閉館30分前・・・
日本人村とはいえ日本語の通じない
小さな展示施設です。
入口近くで日本人の初老ご夫婦とすれ違いました。
「昔はこんなのなかったよね~」
なんて話していらっしゃいました。
展示室は2カ所。
いずれも小規模ですが、動画などを使っていて
とてもキレイで立派な展示です。
”アユタヤに移住した日本人は
戦国時代が終わって、主君を失った武士たちが
傭兵として雇われた”
と、タイと日本の歴史を調べていて
知ってはいたのですが
ここで、他にも移住の所以があることを知りました。
アユタヤは東と西を結ぶ
重要な交易拠点。
ということで、ヨーロッパや中国、日本など
世界各国の貿易商たちが滞在していたとのこと。
日本人村に行く途中で”Holland”と書かれた標識を見ましたが
オランダ人村もあったようです。
この日本人村の展示によると
アユタヤに移住した日本人は3つのタイプがあるそうです。
1 交易のための人
2 傭兵
戦国時代を経験した日本の武士は戦闘経験豊富とのことで、世界各国に移住し重宝されていたとのこと。
実際、アユタヤでも日本人の将が政治において高い権威を与えられていたそう。
3 豊臣時代に弾圧されたキリスト教徒
敬虔な仏教国であったアユタヤとはいえ、
世界各国から交易のために人々が集まったために
宗教にも自由があったのかもしれないですね。
ということで、教会がある謎もなんとなく納得。
その後、アユタヤの衰退と共に移住者は減っていったとはいえ、
その名残の教会や日本人村を見れたのは
(思いつきとはいえ)おもしろい経験でした。
おしりと膝を引き換えにしても
私としては大満足の1日でした。
駅前の屋台の手羽元のからあげもおいしかった!!
その後、
帰りのアユタヤ駅では
「バンコク行きはここのホームで待っていて。」
と言われ、待っていたら
実際に電車が停まったのは隣のホームで。
周りの人たちと線路を走って横断して
全くバリアフリーじゃない入口に
線路から登って乗って
リアルに足を引きずりながらどうにか帰宅し
翌日も丸1日膝を休めないといけないくらいには
ほんとに痛かったのですが
どうにか回復しました。
まだまだ若い・・・!
と自分に言い聞かせる。(笑)
予算的にはあまり観光ばかりしていられないのですが
行きたいところは行きたいものです。
そんなこんなで
アユタヤでの観光は
トータル¥1000以内
に済ませることができました。
(実際にこの方法で行きたい人はこちらを参考に。)
いやー、痛楽しかった!!!(笑)
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