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カンボジア・シェムリアップはアンコールワットだけじゃない!!!
今回は”アキラ地雷博物館”に行ったときの話です。
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日本人っぽい名前ですが、創設者はカンボジアの方です。創設者”アキ・ラー”さんの名前を日本人になじみやすい”アキラ”という呼び方に変えて、博物館の名前に冠したそうです。
「地雷博物館に行きたいんだよね。」と、オールドマーケットで出逢ったさくらちゃんに話したら「今度、地雷博物館で働いている人に会うから紹介してあげるよ。」とのことで、日本語ボランティアの川広さんを紹介してもらいました。(さくらちゃん、本当に顔が広い!!)
地雷博物館はシェムリアップのはずれにあって、自転車だと2時間以上かかる場所。
さすがに今回は自転車は断念したのですが、トゥクトゥクで往復$15(約¥1500)は貧乏旅の私にはちょっとキツいな・・・
ということで、トゥクトゥクをシェアしてくれる日本人を探すことにしました。
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それまでシェムリアップで1週間滞在していた“Dormpoint Hostel“は本当に居心地が良くて、ずっとここに居たいくらいだったんですが日本人、皆無。
普段なら、日本人がいなかろうとなに人がいようと私としてはどーでもいーことなんですが、さすがに日本語解説を頼むのに日本語分からない人を連れて行くのは・・・
そういうわけで日本人経営の宿”ブティックドミトリー高知家”に移動することにしたんです。(ちなみに、扇風機のみの部屋なら$3~4と激安。)
ここなら日本人いるだろー、という安易な感じで宿を移ってみたら、意外と居ない!!!(笑)
まあでも、ベット数多いしそのうち見つかるかなと思い、あえてロビーでごはんを炊いて待ってみたりしましたが、初日は見つからず。
とはいえ!1ヶ月ぶりの温水シャワーを浴びれたり(タイ渡航以来ずっと水シャワーだった。)、蚊帳が元々付いていたり、水がタダだったり。
立地もいいし、コスパ的にもかなり良い宿でした!
そして、2日目になってようやく第一ジャパニーズ発見!!!
同世代くらいの美人さんと、なんでかアンコールワットにも行かず、3週間シェムリアップに滞在していたお兄さん。でもお兄さんはその日の夕方にネパールへ旅立ってしまいました。
で、もう一人のお姉さんと一緒にごはん食べたり意気投合して、(チュナンダイという鍋がすんごいおいしかった!!!)翌日、一緒に地雷博物館に行くことになりました。
当日。
宿の近くでトゥクトゥク交渉。
最初に聞いたおいちゃんは$20と言います。高いですね~。
交渉しても$18。
「だって遠いもん。コレ以下は無理。」とのこと。
隣のトゥクトゥクへ。
人の良さそうなお兄さんがいたので聞いてみると「$15でいいよ。」とのこと。
事前に聞いていた相場と同じだ!(宿などでの相場チェック大事です。)と喜んでいたら、さっきのおじさんが横入りしてきて「$15でいいよ。乗って乗って。」と言います。
トゥクトゥク運ちゃん同士の客取り合戦勃発。
ここで、お兄さんに「$14はどう?」と聞くと、「OK!For you!」と、気のいい返事をしてくれたので、お兄さんのトゥクトゥクに乗り込みます。
(これが私の幸運(?)の始まりなんですが、その話はまた後日。)
気のいいお兄さんの車に揺られ、のどかなカンボジアの田舎道を約1時間。
到着です。
$5のチケットを購入し、事前に連絡していた川広さんと合流。解説をしてもらいながらそれぞれの展示を見ていきます。
炸裂弾。不発化されていますが、本物です。
この地雷博物館がカンボジアにあることを、なんでか、いつの間にか、私は知っていたのですが、なんで知っているのかを全く思い出せずにいました。
その謎が最初の部屋で分かりました。
そこには、アキ・ラーさんが今までに世界中から受けた賞や、テレビ出演、有名人の来訪などの紹介がありました。
その中に、私が高校の頃から毎月購入しているNational Geographicの1冊があり、2012年の1冊で特集されていたのです。
(しかも、この回好きで、また読みたい欄によけても置いてたもの!まだ2回目を読んでなかったんですが!)
●再生するカンボジア:
「地雷が一つ減れば、脚を失う子供が一人減る」。戦乱の“負の遺産”を抱える国は、着実に復興の道を歩む。
なるほど!!!納得!!!だから、意地でも来たかったのね。(1回決めるとしつこいタイプ。)
また、数年前から日本でよく使われている英語の教科書“New Crown”でも、アキ・ラーさんの話を取り扱っているそうです。
なので、現代の日本の中高生はこの博物館やカンボジアの地雷について、授業を通してよく知っているかもしれませんね。(その影響か、日本からは学校の先生がよくいらっしゃるそうです。)
では、博物館の中を進んでいきます。
エントランスを通り抜けてすぐに見える池の真ん中に、多数の地雷が保管されていました。
これらは全てアキ・ラー氏が一人で撤去し、解体して持ち帰ったもの。
撤去数は5万にもおよび、ほとんどは現地で爆破処理するらしいのですが、一部をこうして展示しているそうです。
アキ・ラー氏は、かつてはクメール・ルージュの少年兵でした。
つまり、地雷を埋めた側の人間です。(政府軍や他国軍も埋めていますが。)
10才から銃を持たされ、戦場に立ち、危ない作業こそ少年兵がかり出されていたそうです。
”毎日何百個も埋めていたから、地雷は怖くない”
とアキ・ラー氏はおっしゃっているそうです。
クメール・ルージュ軍が衰退に近づいた頃には、ベトナムに捕まりベトナムの兵(クメール・ルージュ軍からすると敵)として戦地に行くことになります。
こうやって20才までずっと、戦地を生き抜いてきたとのこと。
そして、20才になり地雷によって手足を失った人々と出逢ってから、自分が地雷を埋めた罪を一生償い続けるためにと、地雷撤去作業を独力で開始したとのこと。
現在は地雷撤去にあたり重厚な装備が義務づけられていますが、撤去を始めた当時はそんな取り決めは無く、一人でスコップを持ち、独自の方法で地雷撤去を行っていたそうです。
少年兵として敵軍の地雷や不発弾の隠れた森の中を先導させられる役目を担っていながらも、10年間生き抜いてきただけあって、その独自の地雷を見つける感覚はズバ抜けていたのでしょう。
この写真は当時の戦地の森を再現した場所です。
写真の中に10個の地雷、不発弾などが隠れています。みなさんは見つけられますか??
ワイヤーの張られた隠し爆弾などもあります。
これを薄暗い茂みの中、見つけながら進んでいくのは、普通に考えれば無理ですよね・・・
地雷撤去は命がけの仕事。それでも、除去員の給料はカンボジアの一般的な給料よりちょっとだけいいか、そんなに大差のない額です。使命感が強い方々がこの仕事を続けていらっしゃるとのこと。
この命がけの仕事にも、相応の対価が支払われるべきだとは思うのですが、現実はそうもいかないようです・・・
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川広さんは
・カンボジアになぜ地雷が埋められたのか、
・その背景にどんな歴史があったのか、
・地雷とはどういうものなのか、
詳しく、丁寧に語ってくれました。
地雷は、本来人を殺す目的で作られたものではないそうです。
”四肢をもぎ取ることで、重大なけがを負わせ、その兵士を戦線から離脱させるために他に2人の兵士が手助けをする。つまり、同時に3人が戦線から離脱することになる。”
これを目的にしたものらしいです。
殺すのではなく、手足をもぐ。
これもまた、あまりに恐ろしく理解しがたい発想です。
義足の写真。一番左は竹でできています。戦地で足を失った方は、爆発後の爆弾の殻を使ったりもしたそうです。
上の写真にあるタイプの地雷はプラスチックとゴムからできていて、1個あたり¥400~600ほどで作ることができ、埋めたら半永久的に作動可能。
しかも、5~10kgほどの重さがかかるだけで爆発するので、子供が踏んでも爆発します。
そして、その地雷はまだ世界各地に残っていて、今現在も被害が起きているのです。
世界各地に残っている地雷。赤になるほど、多いことを示しています。
カンボジアでは、徐々に減ってきているとはいえ、いまだ毎年100人以上が被害にあっています。アフガニスタンやリビアは1000人を越えています・・・
突然、地面が炸裂し大量の出血とともに子供が手足を失う、という痛ましい事態が未だに起きているのです。
”地雷を使わない”という国際的な協定ができましたが、アメリカ、ロシア、中国、中東諸国など批准していない国が未だにあります。
そして、戦争博物館でも地雷博物館でもそうでしたが、だいたいの兵器はアメリカ、ロシア、中国製でした。
アメリカとのベトナム戦争では、東京大空襲の頃に日本に落とされた量の3倍の爆弾が、日本の半分の国土しかないベトナム・カンボジアに落とされました。
ベトナム戦争時に落とされた爆弾の地図。
これがポルポト政権誕生のきっかけにもなります。ポルポトはあくまで一時期の代表者の名前であり、実際は、カンボジアに昔から存在した原始共産主義者(機械、文明、宗教なんてダメだ!原始時代に戻ろう!という考え方。日本の共産党とは違いますよ。)たちの思惑が、カンボジアを最悪の歴史に導いたとのこと。
そのへんは複雑な歴史もありうまく説明ができません。詳細はGoogle先生に任せます。
詳しい歴史や背景が知りたい方は
”カンボジア 歴史”
”クメール・ルージュ”
”ポルポト政権”
といったキーワードで検索してみてください。
地雷自体はポルポト政権下以外でも使われていますが、ざっくりカンボジアの歴史を理解する際に、上手にまとめてくれているサイトは多いです。
これからアンコールワットに行かれる方は、是非、この地雷博物館を旅程に入れてください。
以前はもっとシェムリアップの中心地よりにあったそうですが、この個人博物館をよく思わない体制側の人たちから立ち退き命令や妨害を受け、現在の郊外に再設立することになったそうです。
(なんでも、地雷撤去のために海外から受ける支援で懐を肥やしている?人たちがいるんだとか。アキ・ラー氏がたった一人で、驚くほどのスピードで地雷撤去を進めるため、それをよく思わない人もいるらしいです。)
小さな個人規模の博物館ですが、ガイドを頼むと、その重みがとてもよく伝わります。
見学時間の目安はおよそ1時間。
シェムリアップ中心地からははずれていますが、”東洋のモナリザ”と呼ばれる像のある”バンテアイ・スレイ”遺跡の道中でもあるので、遺跡見学のコースに入れることも可能です。
現在はシェムリアップに住んでいるアメリカン人ご夫婦の設立したファンドや、寄付によって運営が維持されているとのこと。
博物館にはアキ・ラー氏が創立した併設の孤児院が建っており、公立の学校に通いつつ、ここでも英語などを学べるらしいです。
ここで暮らしている子供たちが、絵と言葉で自分の夢を描いた展示もあります。
中には、”地雷撤去員になりたい”と描いている子供もいます。
”地雷注意”
という看板(現地の言葉でも書かれている。)を読めずに、危険区域に足を踏み入れてしまうことでの被害が多いため、”字が読める”人が増えることで、地雷被害は減らせるらしいです。
(この対策として、識字率の低い地域で、地雷の看板を載せたノートなどを配ったりしているそうです。)
なにしろ、字を読もうとした人が大量に殺された時代がつい最近まであったので、識字率が低いのも仕方が無いんですよね・・・
川広さんはこの博物館で日本人応援団を開設し、現在、支援者を募っています。
来年の夏頃からアキ・ラー氏と、アキ・ラー氏の家族、併設孤児院の卒業生で現在、アキ・ラー氏のもとで地雷撤去活動をされている方を連れて日本各所で講演を開く予定とのこと。
*2020年9月追記
その後、当初の予定とは少し異なる形になりましたが、無事に講演が開催されたそうです。川広さんはじめ関係者方々のご努力が伺えます。
また、実際にこのシェムリアップを訪れる際には川広さんに連絡して、ガイドをお願いすることをお勧めします。川広さんも是非に、とのことなので、こちらで紹介させていただきます。
川広さん自身は毎日必ず博物館にいる、というわけではないそうなので、訪問の3日以上前までに連絡して頂くのがいいかと思います。
”Animal Travelerのブログで紹介されていた”と伝えていただければ大丈夫です。
川広さん。
連絡先はこちら↓ アキラ地雷博物館 ボランティアガイド アキラ地雷博物館 日本人応援団 代表 アキラ地雷博物館 応援基金 代表 川広 肇(Hajime Kawahiro)さん tel:097 34 62 363 e-mail:joyjoy1954@yahoo.co.jp HP:http://www.akira-landminefree.org ※e-mailへの連絡がつながりやすいと思います。 ※電話は設定により国際電話になってしまうので注意してください。
単独、カンボジアにわたり、現地に住んで地元の人たちに寄り添いながら献身的に支援を続けていらっしゃいます。
私は現時点ではこういったカタチでの支援しかできませんが、やっとカンボジアに訪れた平穏ができるだけ早く、本当の平和に近づいていくよう願っています。
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jiji-shiさん。
その節は、お世話になりました。
おかげさまで、今のところ、
見たい物を見て、経験したいことを経験して、無事に旅が続いています。
共産主義に関しては、私の考えとして、一概に悪いとは言えないのですが、成功をおさめることが難しく、目指すにあたっての代償が大きい、という過去の事実が目についてしまいますね・・・
人間はあまりに数が多く、そのぶん多様性に富んでいますし、幸せを1つのゴールに据え置くのは難しいと感じます。
ただ、同じ失敗を繰り返さないという学習能力が、人間が自然淘汰の世界で生き残る術なのかと思います。
そのためにも、”負の歴史を実際に見ること”は私にとって重要です。
これからも、できるだけ見ていきたいと思います。
またお会いしましょう!!
川広さん
読んでいただけて恐縮です。
せめて、私のブログを読んでくださっている方々には
知っていただきたいな、と思い
こうして書かせていただきました。
カンボジアの過去に悲惨な歴史があっても、
それを乗り越えてきた人々が作り上げていく
「これからの国」が楽しみです。
またいつか、カンボジアを訪れたいと思います。
川広さんこそ、日本から離れての生活、あらゆることに苦労されるのでしょうが、ご自愛くださいね。
獣医さんの一人旅、がんばっているんですね。これからも、ブログ楽しみにしています。
私も、あと一日あればアキラ地雷博物館に行きたかったです。日本に帰って来てから『勝利と悲劇』という本を読んでいます。内容は一人(スターリン)の勝利が国民全体の悲劇になるという筋です。ポルポトとおなじかな。社会主義、共産主義というのは、普通の人間にとって幸せな生活につながるのでしょうか?最近の北朝鮮を見ると考えてしまいます。
では、健康に注意してください。
「アキラ地雷博物館」と私・川広のPRをして頂き、大変ありがとうございます。非常に分かり易い文章で、思わず引き込まれました。これからもこの地で頑張りますので、又いつの日か再訪して下さい。お会い出来るのを楽しみにお待ちしております。
これからも、どうぞお体に気を付けられ、益々御活躍されます様お祈りしています。