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前回までのブログのつづき。
今回はまじめなお話です。
いつにも増し増しで、ちゃんと、まじめに書きます。
そんなこんな、バンコクの動物園”Dusit Zoo”で
のんびりと動物たちを見て回って楽しんでいたのですが、
私としてはこの動物園の一画にある
小さな展示の方が気になってしまいました。
茂みに覆われ、爆弾の模型が置いてあるここ。
なんだか分かりますか??
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これは”防空壕”です。
ちょうど人が写っているあたりに
出入り口があります。
アジア・太平洋戦争、世界大戦の時に
公共施設であるこの動物園にも
防空壕が作られたのです。
その防空壕を、戦争の記憶として
動物園の片隅で現代まで残しているのです。
中はおよそ10畳くらいの光の届かないコンクリートの部屋。
出入り口が両サイドにあります。
日本人は戦争というと
”広島・長崎の原爆”
”沖縄地上戦”
”東京大空襲”
といったあたりが
頭に浮かぶのではないでしょうか。
いずれも、”自分たちが被害を被った戦争”です。
がしかし、
第1次世界大戦で戦勝国側になった日本。
その他の戦争においても、
実際には世界中で多くの犠牲を生んでいるのです。
東南アジアはその代表。
国土における資源の貧困な日本は
東南アジア諸国の豊富な資源を求めて
大戦中、侵略と略奪をしていたのです。
更には勝手に東南アジアを戦争の舞台にして
現地民を巻き込んだり。
直接的な大虐殺がないとしても、
日本軍への食料・資源の供出を求めることによって、現地民の生活は脅かされ、
多数の餓死者を出すことになります。
タイやベトナムを始め、日本による被害国はたくさんあるのです。
それを知らずに”親日国”として各国を捉えるのは
もしかしたら少し違うのかもしれない。
もちろん、過去の記憶や事実は次の世代に引き継ぐべきですが、
憎悪を引き継いではならない、
これは絶対的にそうですし、
その後の東南アジア諸国の独立などに日本は貢献しています。
(もちろん、手伝うからには目的もあるんでしょうけども・・・)
ただ、私個人が肝に銘じておきたいのは
親しく話してかけてくれる、優しい現地民の先祖を
私の先祖は殺しているかもしれない。
もちろん、その逆もあるのかもしれない。
ということ。
世界中で仲良くなっている友達同士でもありえること。
憎悪ではなく、二度と同じことをしないために
覚えておかないといけないこと。
旅に出た最初の宿で会ったアメリカ人の青年と話したことを思い出しました。
彼は世界各国を旅行しているらしく、
「日本で広島を訪れた。とても辛い気分になった。
世界のどこで起きる戦争も同じで、つらいものでしかない。」
と話してくれました。
私も広島や長崎へは幼い頃から何度も訪れていますが
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何度訪れても辛い気分になりますし
何度でも訪れて、その記憶をしっかり持っていないといけない
と考えています。
そのために、広島で買った核兵器反対のTシャツや
戦争反対のTシャツを世界一周の服に選び、
同じ意味の缶バッジを街歩きのカバンに付けています。
そのアメリカ人の彼と話した時に
「日本で起きたつらい戦争の記憶を忘れないことで、
日本人が海外、
特にここ東南アジアでしてきたひどいことを忘れずにいられる。
日本人は自分たちの被害ばかりに目を向けて、
海外の人たちにしてきたことを知らない人が多い。
それはとても悲しいことだ。」
と話しました。
でもまだこのときは、
日本語で記された史上でのことを少し知っていただけ。
私自身、歴史に強い興味はなく、今までは大して勉強もしてこなかったです。
ただ、世界各国を渡り歩く時に、
ただヘラヘラふらふらしているだけじゃなく
どうしても知っておかないといけないこと、
知っておきたいことはある、
と思い、旅を開始してから勉強を続けています。
そして、動物園を訪れたとき、図らずも
その”日本人が海外でしてきたひどいこと”を、
日本の教科書には載らない歴史を、
現地民の視点から書かれた言葉と写真として
初めて目にしました。
”私たちはこの戦争で
いったい何を得られたんだろうか”
現地民の言葉です。
これは是非、日本人に見てほしい。
広島も、長崎も、東南アジアの戦争の記憶も
(せこい満州国の侵略とかも、他にも色々ありますが)
日本人が肝に銘じておくべきことだと思います。
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