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カンボジアのシェムリアップと言えば「アンコールワット」。
いっそ、もうそれしかないのでは!?
というくらいに有名ですし、現地民も、シェムリアップで展開しているビジネスも、全てはアンコールワットのためといった雰囲気。
が、シェムリアップはアンコールワットだけではないんです!
アンコールワットがあるということは、文明がここにあったということ。
文明があったということは、人間が生きてきたということ。
人間が生きてきたということは、色々な歴史があったということ。
ということで、アンコール遺跡以外のカンボジアの歴史も知っておこうと、戦争博物館とキリングフィールドに行ってきました。
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カンボジアはタイ・ベトナム・ラオスの3か国と地続き。
そりゃーもう、ずーーーっと昔から、それこそアンコール王朝の頃も、大陸国ならではの戦いが繰り広げられてきたわけです。
島国の日本にはあまりない悩みですよね・・・(元寇襲来とか?)
その戦いの最中に生まれた、カンボジア史上最悪の悪夢がポルポト政権。
「頭よさそうな人はみんな殺しちゃえ。」
というビックリするような思想で、医者、学校の先生、僧侶、一般市民までも農村での強制労働(しかも機械一切使っちゃダメ)をさせたり、挙げ句の果ては人口の約3~4分の1(200~300万人。はっきり人数は分かっていないらしい。)の、罪なき人々を大量虐殺してしまった政権です。
その理由が、眼鏡をかけていたからとか、文字を読もうとしたからとか、もう、意味不明・・・
イメージするのに容易なのは”東南アジアのヒトラー”といったところでしょうか。
ポルポトが政権を握ったのは4年にも満たないのですが、たったのその数年でそれだけの大虐殺。
政権崩壊後も内戦は続いたり・・・
そんな訳の分からんことがたった30年ちょっと前に起きていた、という事実。
そういうわけでカンボジアは知識人層が一斉にいなくなり、せっかく水や食料が豊富で独自の文化を育んできた活気溢れる国なのに、”貧しい国”のようになってしまったのです・・・
街を歩いていると、日本人の私としてはなんだか違和感を感じます。
”おじいちゃん”、”おばあちゃん”をほぼ見かけないんです。
みんな若くて、中年令の人たちがトゥクトゥク運転手や屋台、販売店の店主をしていて、若者が建築現場やレストランなどあらゆるところで働いていて、ちいさな子供がその近くを走り回ったり、お手伝いをしたりしています。
カンボジアの2015年時点での平均年齢は25才。
65才以上の高齢者は人口の4%しかいません。
1980年での平均寿命は27才。(!!)
その意味は、まさに想像できる通りです。
”ポルポト”
”クメールルージュ”
”ジェノサイド”
なんとなく、どこかで聞いたような言葉ですが実際はあまりよく分からない。
いつも、次の国に行く前にその国の歴史や日本との関わりをちょろっと調べて書き留めているのですが、カンボジアでのそれはあまりにも重い歴史で調べている途中であまりにも気分が落ち込みすぎてしまいました。
なので、文字での深追いはせず「あとは現地で見てみよう。」ということにしていました。
当日。
午前中に自転車を借りて、戦争博物館へ向かいます。
約30分の道のり。(トゥクトゥクを使えば10分以内くらいで着くと思います。)
看板発見。
なんか、特別区域ぽいような門ですが、ここを入っていきます。
午前中でもけっこうな暑さ・・・
目印これだけ。小さい。
入口が分かりづらくて舗装もされてなかったので1回通り過ぎちゃいましたが、無事、戦争博物館に到着です。
$5(約¥500)の入場料。
中に入ると、草むらの中にたくさんの戦車が並んでいます。
どれも錆び付いていて保存状態は良くないですが、実際に使われていたもの。
実際に、何人もの人間を殺してきた兵器。
そして、先にも言ったように、そんなに昔の話じゃないんです。
あのアンコールワットやアンコールトムも周りが堀になっていて、まるで城郭のような造りのため、陣が張られ、戦場となっていたとのこと。
その影響で更に遺跡の崩壊が進んだようです。
あらゆる戦争の武器が並んでいます。
銃も。
ヘリコプターや戦闘機も。
ヘリコプターの中をのぞくこともできます。
爆弾も。
地雷も。
そして、写真展示。
負傷した母と子供。
クメール・ルージュの少年兵たち。
爆弾を運ぶ少女たち。
少しでも知識があれば反対勢力になりうるとして、大人たちを大量虐殺した代わりにクメール・ルージュでは無垢な子供たちを多用していたようです。
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実際に銃を持ってみましたが、非常に重いです。
たった10才くらいの子供がこれをかついで遠征し、戦線で命をかけて戦っていたのかと思うと、いたたまれないどころの気持ちではなくなります。
だんだんお腹の辺りが気持ち悪くなってきて、吐き気がしてきます。
地雷で手足を失った人たちの写真展示もありました。
大量虐殺現場を掘り起こした時の写真も。(ご遺骨の写真なので、小さくしておきます。クリックで拡大できます。)
銃の展示のところである見学者の青年が、銃を持って「バン!バン!」と撃つ格好をして、笑いあっていました。
それを見て更に具合が悪くなり、展示を見終えて隣接の小さなおみやげ屋さんに入りました。
そこで、私としては信じられないものを目にしました。
この戦争博物館は二度と戦争を起こさないように、その記憶を残しているのだと思っていたのですが、おみやげ屋さんに子供向けのおもちゃの銃が売られていたのです。
(写真の左下の棚。)
確かに、子供ってなんでか銃とか戦車とか好きですよね。(私は嫌いだったけど。)
でも、売れるからって戦争を肯定するような物をここで売っていいのでしょうか!?
子供にとって、全ての経験は教育そのもの。
”ただ大人に付き合って博物館に来た”じゃ済まないくらいなんでも吸収し得る。
なんのためにこの施設を作ったんだ!?
と疑問でしかなかったです。(言葉の問題もあり、この場でそれを伝えられる先がないのが残念。)
”実際に最近まで使われていた”生々しい兵器たちを見たり触ったりできるため、かなり貴重な体験にはなりました。
絶対に二度と同じことを繰り返さないために、それらの兵器に畏怖の念を持つ。
そこが博物館として残す意味として、重要なことだと思うのですが・・・
そんなこんな疑問が残りつつ、お腹から喉の辺りまで気持ち悪いまま博物館を後にしました。
おみやげ屋さんにて。やっぱり動物って見てるだけで癒される・・・
次の目的地、キリングフィールドへ向かいます。
先に調べていた地図では、戦争博物館からまっすぐにのびた道を東へ進めば着けるはず。
左の赤いマークが戦争博物館。中央下あたりのマークがキリングフィールドのあるお寺。上のマークがアンコールワット。
だったのですが、そんな道はなく。それらしい道は悪路、というより農地(?)で牛がうろうろしています。
カンボジアあるある。(笑)
仕方なく、ちょっと遠回りして幹線道路へ向かうことにしました。
また自転車で30分ほど。
アンコールワットに向かう道の途中にある“Wat Thmei”という寺院。ここにシェムリアップのキリングフィールド(虐殺慰霊塔)があります。
カンボジア全土でキリングフィールドは300カ所以上確認されているらしく、意外と知られていないようですが、そのひとつがシェムリアップのアンコールワットに向かう途中にあるのです。
キリングフィールドはただの慰霊塔ではなく”そこが虐殺の場だった”ということです。
つまり、カンボジアの狭い国土の中に300カ所以上の処刑場があったのです。
恐ろしすぎる・・・
お寺に入るとすぐに小さなブースがあって、”人身売買・性的搾取反対”の署名活動をしていました。これは現代、東南アジア諸国が抱える問題です。
東南アジアへの旅行者は容易にそういった犯罪行為に加担します。日本人も、もちろん。信じられないほど容易に、です。
(昔は何のことか気づかなかったけど、知り合いにも「タイでのあれこれ」とかの話をしていた人がいます。知り合いにもいたんだと思うと恐ろしい。)
これらも断じて看過できないこと。だからこそ、観光地で観光客向けに署名活動しているのかな、と思います。署名とメッセージを残して中へ進んでいきます。
色々もらったので、旅のお供に着けることに。うちわのようなメッセージカードは皆に読んでもらいたいと、宿の人に頼んでロビーに置いてもらいました。
お寺はクメール正月の名残か、ハイテンションな音楽が鳴り響いています。
大きなパネル展示。大量虐殺の起きた歴史について、お寺のいたる所にパネルで展示されていました。
その中心に、2体の仏像に見守られるようなかたちで慰霊塔が建っています。
慰霊塔の中にはたくさんのご遺骨が積まれていて、すべて、こちらを見るように向けられています。
(さすがにアップの写真は撮り難かったので、どんな感じか気になる方はこちら(ワット・トメイ寺院) のサイトをのぞいてみてください。)
ご遺骨のまわりをゆっくり一周して、今まで文面で知っていたことが”現実に起きたことなんだ”と、ようやく実感しました。
”1人の死は悲劇だが、100万人の死は統計だ”
どこで見たのか忘れましたが、私が一番怖いと感じたポルポトの言葉です。
このころ政権を握っていた人々がなにを考えいていたのか、想像もできないし、したくもない。そういう体験でした。
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